p39・40 20 五ケ村池
<『さいお』春日井市立西尾小学校開校100周年記念ハンドブック>
西尾の山の中、国道19号の西尾町の交差点を多治見方面に進んで、内津パーキングの手前を左に入りオールドレイクゴルフ場を左に見ながら進むと、突然、大きなため池が出現します。築水池の半分ほどではありますが、貯水量が約10.5万立方メートルもあり、春日井市で4番目に大きなため池、それが「五ケ村池」です。
五ケ村池は、いつつくられたのでしょう? そして、五ケ村池の水は、ゴルフ場の中を通り、すぐ内津川に流れ込んています。いったい、どこの田をうるおしているというのてしょう? これだけ大きな池にもかかわらず、わからないことばかりです。しかも、なぜか五ケ村池について書かれた本を見つけることができません
そこで、まずはゴルフ場の人に聞いてみました。すると、西尾の水利組合から池の水門をまかされtいるということでした。水利組合の代表てある鵜飼勝則さんに聞いてみると、確かに現在でも五ケ村池の水を使用しており、渇水期に内津川の水を増やしているとのことでした。また、オールドレイグゴルフ場があるところは、かって水田だったということです。ということは、19と同じ役割ももっていた、ということてしよう。
しかし、『新修春日井市近世村絵図集』に出ている西尾村の絵地図(天保15年)を見たところ、なるほど五ケ村地に近いところに池があるのですが、水の流れ出ている方向が違いますし、内津川へ流れ込んでいる場所も違います。また、その池の下あたりに水田はありません。ということは、この池は五ケ村地ではないのではないてしようか。つまり、五ケ村池がつくられたのは少な くとも天保15年(1844年)以降ということなのではないでしょうか。西尾町の田代憲治さんや市役所の農政課よると五ケ村池は明治時代につくられたようてす。
さらに、鵜飼勝則さんが興味深いェビゾードを2つ紹介してくれました。1つは、昭和の初めに、この五ケ村池の堤防が切れたことかあり、西尾の村か洪水になってしまったということです。この池の杁(水門)は、泳いで行って開けていたそうてすが、それがつまってしまい、余分な水があふれ出したのたそうです。もう1つは、五ケ村地は多くの村の共有地だったのですが、裁判の結果西尾村のものになったということです。『春日井市史』を見ると、五ケ村山の共有地差縺事1件の裁判がくわしくのっています。五ケ村地もこの裁判の一環たったのでしようか。この裁判を記念する石碑である「宗吾霊」が西尾の安祥寺内にあります。